私のアーティストネームは、
「みえないものたち」(mienaimonotachi)
はっきり言って、変だと思う。
日本語がわからない方からしたら、
音だけで捉えるからどう感じるかわからない。
けど、日本人の私からしてみれば、変。
変だと思う。
変というのは、
名前らしい単語ではない、という意味で。
「目に見えないもの」を意味する言葉、
そう、ただの言葉、を名前にしている感覚だ。
それに、「みえないもの」って、
ここしばらくの日本では、
よく擦られた言葉だと思う。
「目に見えないものこそ大事だよね」というニュアンスは、
擦られまくっていて面白くもなんともない言葉だと思う。
その他にも色々と、
私的にイケてないと思う点があった。
だから、違う名前にしたいと思っていた。
だけど、私はこの言葉を名前にしてみた。
理由は、
「なんとなく、私にとってどうしても大事なものだという気がしてならないから」
だった。
この名前にしようと決めたのは2019年だった。
その時はまだ、アートで自分を表現していくということは、
ほとんど頭になかった。
ただ、何らかのかたちで自分を表現したいと思い始めていた。
当時はまだ会社員だったし、
本名で何かを表現するには抵抗があって
何か別の名前で表現活動をはじめたかった。
その時にいくつか考えてみた。
そして、
名前としては変だけど
「私にとって、とても大事なもの」
という気がして外せなかったのが、
この
「みえないものたち」(mienaimonotachi)
だった。
「みえないもの」と聞いて、
即座に連想するのは
サン=テグジュペリ作の“星の王子さま“
という人も多いのではないだろうか?
そしてその中の一節
「大切なものは、目に見えないんだよ」
という言葉が、幼い頃から私の中にずっと残っていた。
“星の王子さま“の全体を通して語られる、
「目に見えないものに、大切なものがある」
というメッセージ。
正直、子供の頃に読んだ時は何度考えても、
「はあ?意味がわからない。」と思っていた。
なんか大事なこと言ってそうだけどよくわからない、みたいな。
だからこそ、なのかもしれないけど、
そのメッセージは私の頭の片隅にずーっと存在し続けていた。
大人になって、
だいぶわかったような気がするけど、
どこか心許ないもの、
うまく説明できる気がしないもの、
そんなものだった。
ずっとずっと、心に引っかかっていた。
本当の意味を私はまだ理解していない、と。
2019年にこの名前をアーティストネームにしようと決めたときは、
私自身がその「見えないもの」について、
なぜこれがそこまで気になるのかをわかっていなかった。
もちろん、ずっと心の中に存在していたことは自認していたけど、
あくまで私の中に存在する謎の中のひとつだと思っていた。
この時は直感が強くこの名前に振れて、この名前でいこう、と決めただけだった。
もちろん言語化できないもの、
つまり、はっきりと見えないものやわからないものを、
見えるものに変換して表現したいという思いはあった。
しかし、この名前に惹かれたのは、
まだ何かあるような気がほんのりしていた。
それが、アートでの創作をはじめて数多の問答を自分の中で繰り返すうちに、
はっきりとわかったのだ。
「ああ、私がこの言葉を大事だと思って名前にしようと感じたのは、
こういうことだったのか」と。
私にとって一番に表現したい
「見えないものたち(mienaimonotachi)」
は、
「自分の本当の気持ち」
だったのだ。
ずーっと、自分のことを自分でわかりきっていない気がする、という思いを抱えて生きてきた。
それは、本当の自分を見ていなかったから。
つまり、本当の自分を感じてあげられていなかったからなのだ。
そして、なぜそうなっていたのかを、はっきりとわかった。
自分というものは自分にぺったりとくっついているから、
というか一体化しているから、見えない。
故に、
「この世界で唯一絶対に会えない人。それは、自分」
なのであり、
「この世界で唯一絶対に自分に会えない自分=見えないから、わからない。わかりにくい。」
のだとわかった。
私が、「みえないもの」の中でも一番に表現したいのが、
「自分の本当の気持ち」
だったのだと自分自身でわかってから、とても腑に落ちた。
そこからの私は自信を持って、
この変な名前でアートを発信していく覚悟ができたのだ。
2026.09.29
mienaimonotachi
みえないものたち

